招き猫の発祥

中国の唐代の『酉陽雑俎(ゆうようざっそ)』という書物に、「猫が顔を洗い、手が耳を過ぎれば客が来る」と書かれています。
これをもとに誕生したのが”招き猫”の言葉の発祥と言われています。


日本では、どうでしょうか?諸説ありというのが正直なところですが、主な由来をご紹介しますね。

お米が中心の時代、ネズミは収穫した農作物を食べる最大の敵でした。ネズミの最大の敵はそう”ネコ”です。
また、お蚕さんを育てる養蚕業では、ネズミ除けに猫の置物を使っていたようです。これは猫がいるように見せかけてネズミ除けに使ったようです。ちょうど、田んぼのカカシを立てるのと似てますね。養蚕がだんだんと衰退していくと、商売繁盛の縁起物として商売人のお守りになったとされています。ネズミ除けという実用的な置物から縁起物の招き猫が発祥したという事です。

諸説あります

浅草今戸神社説(今戸焼説)

http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/taito/3222/

昔、浅草花川戸に老婆と猫が仲良く暮らしていました。しかし、貧しさから、老婆は食べることもままならぬ日々が続き、愛する猫を手放しました。その夜のこと、老婆の夢枕に飼い猫が現れ、”自分の姿を土人形にし、背中に丸〆の印を入れて売るとよい”というお告げを残しました。老婆が猫の姿をした今戸焼の人形を浅草神社(三社様)の鳥居横で売ったところ、たちまち吉運を招く縁起物として人気となり、生活が成り立つようになったといわれています。
もうひとつの今戸焼説が、浅草寺梅園院境内でひねり土人形を作っていた老夫婦の猫が、知り合いの飼っていた小鳥をあやめてしまいました。その猫が罪を感じて井戸に身を投げてしまいます。その夜、老婆の夢に猫が現れ、自分の罪を詫び、「今後はあなたを守りいかなる病でも全快させる」と告げました。このことを知った仲間の今戸焼屋が、老夫婦に猫の人形を作てあげました。その猫の人形を老婆が拝んだところすぐに病が治り、そのことが、大評判になり、皆が猫の人形を買い求めたということです。

東京都新宿区の自性院説

https://tesshow.jp/shinjuku/temple_wochiai_jishoin.html

江古田・沼袋原の戦いで、劣勢に立たされ道に迷った武将、太田道灌の前に黒い猫が現れて手招きをし、自性院に案内され命拾いをした。これをきっかけに道灌は力を盛り返し戦に勝ち、後に猫の地蔵尊を奉納したことから、猫地蔵崇拝から招き猫がうまれたという説。また、江戸時代中期に、豪商が娘が亡くなり、その冥福を祈るために可愛がっていた猫を地蔵として奉納したという説もあります。

京都の壇王法林寺説

http://dannoh.or.jp/cat/cat01.html

京都にあるお寺で、夜を司り、盗賊や火災などの厄災から守ってくれるという『主夜神尊』を祀っています。黒猫はその使いであり、江戸の中頃より主夜神尊の銘を刻んだ招福猫が作られ、民衆に受け入れられていたという話が伝わっています。
昭和初期に出版された『京都民俗史』という本の中に、「三条大橋東詰の壇王の主夜神の神使は猫で、招き猫を出す。緑色の招き猫で右手を挙げている。そのため、江戸時代には民間では左手の招き猫より作らせなかったと言うことである」と書かれています。

東京都豊島区西方寺説

吉原の遊郭・三浦屋の看板遊女であった薄雲が、ある時厠へ入ろうとすると、ついてきた愛猫の三毛猫が厠に入れようとしなかった。それを不思議に思った遊郭の主が魔性の猫かと脇差しで首を切り落としてしまうと猫の首は天井の大蛇に食らいついて薄雲を救いました。薄雲は忠義の猫を供養するため西方寺に猫塚を建て、贔屓の豪商は伽羅の木で造った猫を薄雲に贈った。これを真似たものを浅草で売りに出したのが招き猫の始まりだという説。

東京都世田谷区の豪徳寺説

http://www.city.setagaya.lg.jp/kurashi/106/149/641/643/d00006127.html

豪徳寺の和尚は、一匹の白猫を自らの食を分け与えるほどにかわいがり、常日頃、「我が愛育の恩を知らば、何か果報を招来せよ」と言い聞かせていいました。ある日、江戸時代に彦根藩第二代藩主・井伊直孝が鷹狩りの帰りに豪徳寺の前を通りかかったとき、門前で猫が手招きするような仕草をしていたので立ち寄り休憩をすることにした。すると急に雷雨が降りはじめ、直孝は雨に濡れずに済みました。この奇跡のようなことを直孝は大いに感謝し、後日荒れていた豪徳寺を建て直すために多額の寄進を行い、豪徳寺は盛り返しました。この縁で豪徳寺は井伊家の菩提寺となったそうです。また違う言い伝えでは、直孝が豪徳寺の一本の木の下で雨宿りをしていたところ、三毛猫が手招きをしていて、不思議に思い、猫に近づいたところ、先ほど雨宿りをしていた木に雷が落ちたというものです。当時の和尚はこの猫が死ぬと墓を建てて丁重に弔ったそうです。後世に境内に招猫堂が建てられ、猫が片手を挙げている姿をかたどった招福猫児(まねぎねこ)が作られ、これを崇め奉れば、吉運来ると評判になったといわれています。